後知恵バイアスとは
後知恵バイアスとは、あることを自分が知っていたわけではないのに、その答えや結果が明らかになった後で「もともと私は知っていたのだ」と思い込んでしまう傾向のことです。
つまり、クイズ番組で正解が出た後になって「やっぱりね!」と思ってしまうよくあるアレです。
本当は正解の予想のほかにもいくつかの予想があったはずですが、そのことは都合よく忘れてしまいます。
それでも予想の中に正解が含まれているのならまだマシです。
後知恵バイアスは、もともと自分の中になかった考えについても、それが説得力ある意見であれば、自分もそう考えていた、もしくは自分でそのように考えることは可能であった、と錯覚させます。
なぜなら、私たちの脳は過去に自分がどのように考えていたのかを正確に思い出せない、という限界をもつからです。
そのため正解や説得力ある意見が示された後では、その直前まで自分がどのように考えていたのか、もはやほとんど思い出せなくなってしまいます。
答えがわかった後になって過去の自分の考えを修正する傾向は、強力な認知的錯覚です。
このように人の記憶は後知恵によってゆがめられ、結果的に私たちが過去から学ぶ能力を低下させてしまいます。
そして、何でも知っていたと錯覚する脳は、間違いから学び、自ら知識を求めようとする意欲を失わせるのです。
これが後知恵バイアスの恐ろしさです。
付和雷同と後知恵バイアス
付和雷同という日本のことわざがあります。
付和雷同とは、自分にしっかりとした考えがなく、軽々しく他人の考えや意見に同調する、という意味です。
よくない意味で使われることわざですが、そのじつ私たちは自分がよく知らないことに対して、他人の意見を直感的にあまり考えもせず受け入れがちです。
そもそも自分の考えをもつのは簡単ではありません。
自分の考えは多くの場合、他のだれかの考え方を取り入れながら、ゆっくりと形づくられていくものです。
ですが、付和雷同に後知恵バイアスが入り込むとやっかいです。
他人の考え方に同調しただけなのに、まるで自分でそう考えたかのように錯覚してしまいます。
どのようにしてそう考えたのか、土台になる考えがないために、自分がだれかにその考えを説明しようとしてもうまく言葉になりません。
付和雷同と後知恵バイアスのパターンをくりかえすと、何でも知っているつもりで本当は何も知らない、という状態になってしまいます。
自分ではそのことに気がつきません。
そういう人は、まわりに何か意見を言う人がいる限り、つねに自分が何かを知っている気でいられます。
しかしこうなってしまうと、自分で考え何かを決断をしたり、自分の力で問題を解決したりするのが非常に困難になります。
だれかを頼らずには生きていけないのです。
結果バイアスと後知恵バイアス
後知恵バイアスは認知バイアスの一種です。
認知バイアスとは、特定の状況の中で繰り返しおきる認知の誤りのことです。
つまり、間違ったものを正しいと錯覚してしまうことにより生じる、よくある「思い込み」や「勘違い」です。
(バイアスには傾向、先入観、偏りなどの意味があります)
認知バイアスには後知恵バイアスの他にもたくさんの種類があり、その中の一つに結果バイアスがあります。
結果バイアスとは、自分や他者の決定を評価するとき、結果がよかったか悪かったかだけで決定の質を判断してしまう傾向のことです。
すなわち「結果よければすべてよし」であり「結果が悪ければすべて悪い」の精神です。
結果バイアスが後知恵バイアスに入り込むと、私たちの物事を判断する能力はさらに低下してしまいます。
結果にばかり目が行ってしまい、決定をしたこと自体がよかったのか悪かったのか、判断することがほとんど不可能になってしまうのです。
バイアスに関する研究をおこない、心理学者にしてノーベル経済学賞を受賞したアメリカのプリンストン大学名誉教授であるダニエル・カーネマン博士はその著書「Thinking, Fast and Slow(邦題:ファスト&スロー)」の中で、次のように指摘しています。
「自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている」
「過去の認識の錯覚は、未来は予測できコントロールできるというもう一つの錯覚を生む。こうした錯覚は心地よい。」
私たちは結果だけに注目し、後知恵によってゆがめられた過去の認識によって未来を予想し、いい気分になっていないか、注意する必要がありそうです。
さもなければ、自分で何かを決断しなければならない人生の重要な局面において、何も考えが浮かんでこない、という厳しい状況に追い込まれてしまう危険性があります。
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか?
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか?
行動意思決定論―バイアスの罠