気づき(覚知)の限界
私たちは、自分が気づいていないことには気づいていません。
当たり前といえば当たり前ですが、当たり前すぎて気づいていない、ということもあります。
世の中のすべての事実や情報に目を向け、ましてやそれを処理する能力など私たちの脳は持ち合わせていないため、気づけることに限界があるのは仕方がありません。
しかし、私たちは「なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう…」「知っていたはずなのに、見落としていた…」と、自分でも不思議に思うくらいに気づかないことがあります。
ですが、それもまた仕方のないことです。
私たちの頭の中でおこなわれている情報選別の作業は、表面的な意識とは別に脳がオートマチックで処理してしまいます。
そして脳は、直観を優先し有益な情報を無視したり見落としたりする、というエラーを頻繁におこしています。
気づかないのはある意味当然のことで、気づけることにはつねに限界があります。
そして当然ながら今この瞬間も、私たちは気づくべき何かに気づいていません…。
気づき(覚知)の限界の影響
気づきの限界は、以下のような形でも私たちに影響を与えてきます。
- 非注意性盲目(ひちゅういせいもうもく):人は自分が意識していないものについては、直接目を向けていたとしてもなかなか見えない。
たとえば、ビデオ画面でバスケットボールのパス回しを数えさせられているとき、それに集中しているせいで、唐突にコートを横切るゴリラの着ぐるみを着た人の姿を多くの人が見落とす。 - 変化盲(へんかもう):人はゆっくりと起こる変化を見落としがちである。
たとえば、少し悪いことに手を出してしまった人がその後も少しずつではあるがより悪いことに手を染め、最終的には犯罪者になってしまうこともある。 - 焦点化の錯覚:人は何かを意識しているとき、その他の情報を軽く見やすい。
たとえば、夜ふかしを楽しんでいるとき、それが次の日の体調に与える影響などほとんど気にしない。
などなどです。
気づきには限界があると知ったからといって、なにかが劇的に改善するわけではありません。
しかし、なにかに気づいていない自分に気がつけば、少しでもそれを改善しようと努力することもできます。
それにはやはり、積極的に何かを学ぼうとする姿勢が大切です。
自分の知識と物事の理解を深めることができれば、今まで気づいていなかったことにも気づけるようになります。
そうすれば、「なんで気づかなかったのか」と嘆くよりも、「気づいてよかった!」と嬉しく思えることのほうが増えてくるかもしれません。