羞恥心とは
羞恥心(しゅうちしん)とは、間違いや失敗をした時に感じる、恥ずかしいという感情です。
しかし、私たちは赤ん坊のころ恥じることなど知らず、何にでも挑戦し、何度も間違い、幾度となく失敗を繰り返して、生きるための方法を少しずつ学んできたはずです。
では私たちは、いつ恥という感情をいだくようになるのでしょうか。
それは大人たちの反応に気づき始める幼少期です。
自分がやったことに対して、大人が示す負の感情を伴ったリアクション(眉をひそめたり怒ったり)に触れることで、何が悪いことかを学び、恥という概念を学びます。
もちろん、何が恥ずかしいことかを学ぶのは大切です。
しかし、失敗は恥ずかしいことだと思うようになってしまうと、失敗を恐れ、無邪気に全力で何かに挑戦することを躊躇うようになってしまいます。
恥を知るのは大切だが、失敗を恥じる必要はない
恥ずかしいという感情は、人間社会で生きていくうえで重要なものです。
恥を知らない人は、自分勝手な行動をおこしやすく、周囲の人から嫌われてしまいます。
「恥知らず」「あつかまし」「面の皮が厚い」「厚顔無恥」、さまざまな言葉がありますが、恥を知らないと周囲の人達から呆れられてしまいます。
しかし、失敗は恥じるようなことではありません。
失敗するということは、何かに挑戦した結果であり、挑戦には失敗がつきものです。
ある意味失敗は当然のことであり、わざわざ恥ずかしがるようなことではないのです。
もちろん、失敗は良いことでもありません。
失敗したのなら、反省し、どうすればよかったのかを考え、次の行動に移る必要があります。
どんなに恥ずかしい出来事も、たった100年もしないうちに消えてなくなる
失敗を恥じる必要はないとしても、現実にはどうしても恥ずかしい思ってしまうことはあります。
なぜなら失敗したことをバカにする人や、挑戦したことの価値を理解しない人というのはどこにでもいるからです。
そもそも「他人の不幸は蜜の味」と言われるように、多くの人にとって他人の不幸や失敗はおもしろい話のネタになります。
時には悪い噂に尾ひれがついて拡散され、失敗した出来事は身のまわりの多くの人が知るところになるかもしれません。
そういったことに気を悩ますうちに、恥ずかしいという感情はますます大きくなっていくでしょう。
しかし、そんなことを気にする必要はありません。
どんなに恥ずかしい失敗も、たったの100年もしないうちにそれを知る人はだれも存在しなくなります。
もし映像や記録に残されていたとしても、100年後にそれを恥じる自分はもう存在しません。
100年という時間は人間にとって長いと感じるかもしれませんが、人類が誕生したのは約20万年前、地球が誕生したのは約46億年前であり、この宇宙はあと1400億年以上は存在し続けるといわれています。
そう考えると、100年という時間はほとんど一瞬のことに過ぎません。
それに、今日一日のうちに世界中でどれだけの恥ずかしい失敗が起こったのかわかりませんが、当の本人が思うより、世界はその失敗に対して驚くほど無関心です。
ですので失敗を恥じるのはもうやめにして、いつか来る成功を望むならば、挑戦と失敗を繰り返していくことも大切です。