意見は対立する
ある事柄について、どのように考え、どのような意見をもつかは人それぞれに違います。
世の中には答えがあるようで答えがない問題がほとんどで、多種多様な意見があるのは当然のことです。
大まかに見れば多数派少数派に分けられることもありますが、細かな点までみればまさに千差万別の意見があります。
そして私たちは必ず、自分の意見と対立する意見に出会います。
そのときに注意したいのは、絶対に自分の意見が正しいと思い込まないことです(人は根拠もなく自分が正しいと思い込み、話の筋さえ通っていれば自信満々になる傾向があります)。
もちろん、自分が正しくて相手が間違っている可能性はあります。しかし常に、自分が間違っていて相手が正しい可能性もあるのです。
もしくはどちらも間違っている可能性もありますし、時と場合によって正解と間違いが逆転する可能性もあるでしょう。
そもそも何が正しくて何が間違っているのか、突き詰めれば正解なんてないのかもしれません。
それでも私たちは対立する意見に敏感に反応してしまいます。
その対立する意見が、自分が強く反対する意見だった場合、面白いことに私たちの脳は瞬時に「危険」を察知するようにできています。
何かよくないことが起きていると感じ取り、警報を鳴らすのです。
説明=戦争
私たちは意見の違う相手に対して、自分はこう考えている、と自分の意見を説明することがあります。
しかし相手に「説明」をするという行為は、実は相手に「戦争を仕掛けている」のと同じなのです。
相手に自分の意見を説明することの言外の意味は「私が正しくて、あなたは間違っている」に他なりません。
そして戦争(説明)を仕掛けられた相手の脳も、理性をつかさどる部位をシャットダウンさせ、攻撃に関わる部位を活性化させます。
こうして、意見の対立があるもの同士の会話はエスカレートして口論となり、時には口悪くお互いを罵り合い、取っ組み合いのケンカにまで発展することもあります。
お互いに相手の話を理解しようなどと考えていません。
ただただ己の正しさを証明して、相手に勝利したいだけなのです。
相手の意見に耳を傾けよう
言い争いという無益な結果ではなく、お互いにとって有益な結果にたどり着きたいのなら、自分の正しさを証明しようとするのではなく、
自分から率先して相手の意見を尊重し、相手の話に耳を傾け、共感と理解を示し、良い関係を築くことが大切です。
そのうえで相手に変化を促したいのであれば、その人自身の中に変わろうとする意志を芽生えさせる必要があります。
その為にはこちらの考えを「説明」するのではなく、相手に相手自信の意見が本当に正しいのかどうか自ら考えてもらえるような「質問」をする、という手段が有効になります。