人は何かを信じずには生きていけません。
尊敬する人や愛する人、自分の価値観や選択、多くのことを信じて生きています。
自分にとって正しいことを信じるのは大切ですし、それは心地よいものでもあります。
ですが間違ったことを信じてしまったとき、私たちはその代償を払わされます。
裏切りに打ちひしがれる心、だまされたあげくの経済的な損失、搾取による自由の侵害、考えただけでぞっとします。
そうはならないよう、私たちは何を信じるべきか慎重に判断をしているはずです。
しかし、その判断が間違っているとしたら、私たちが正しいと信じていることは、ただの思い込みなのかもしれません。
確証バイアスとは
確証バイアス(かくしょうばいあす)という言葉があります。
確証バイアスとは、自分が信じていることをより強く信じ込んでいく傾向のことです。
確証バイアスは認知バイアスの一種であり、認知バイアスとは特定の状況の中で繰り返しおきる認知の誤りのことです。
つまり、間違ったものを正しいと錯覚してしまうことにより生じる、よくある「思い込み」や「勘違い」です。
(バイアスには傾向、先入観、偏見などの意味があります)
確証バイアスをより深く理解するために、まずは前提にある認知バイアスについて見ていきます。
認知バイアス
こんな実験結果があります。
実験参加者に自動車事故の映像を見せ、次の質問をしました。
「白いスポーツカーが田舎道で納屋の前を通りすぎたとき、そのスピードはどのくらいでしたか」。
実は映像の中に納屋は映っていませんでしたが、このように質問をされた実験参加者は、納屋についての質問をされなかった実験参加者とくらべ、はるかに高い割合で実際には存在しない納屋を見たと記憶していました。すなわち、無いはずの納屋があったと思い込んでしまったのです。
これが認知バイアスです。
もちろん、この問題を出されたすべての人が間違ってしまうわけではありませんが、人は何でも最初は信じようとする傾向があることがわかっています。
それは人の直感がそのようになっているからです。
信じないという行為をするには、直感に頼らずよく考える必要があります。
これは私たちが思っているよりも面倒な作業であるため、たいていの場合は直感の判断に任せたままにしてしまいます。
さらに、疲れているときや他のことで頭がいっぱいになっているときは、信じないことがより難しくなり、なんでも信じてしまう可能性が高まります。
実際に、人は疲れていると根拠のない説得的なメッセージ(テレビCMなど)に影響されやすくなる、というデータもあります。
ですので認知バイアスが入り込みやすい状況がたびたび発生する日常において、常に合理的な答えを出し続けるというのは不可能です。
それでも、ちゃんと考えさえすれば私たちは正しく判断できます。
認知バイアスはたいていの場合、直感による判断はいい加減だと理解していれば、考えることで回避できるのです。
しかし、直感を無視することは簡単ではありません。
「あなたの後ろにだれかいますよ」
と言われて後ろを気にしないでいられる人は少ないでしょう(書いている私も後ろを振り返ってしまいました…)。
確証バイアス
そして、何かを強く信じてしまったあとは確証バイアスが登場します。
確証バイアスとは、何かを正しいと信じているとき、それを肯定する情報ばかりを集め、反対意見や間違っている可能性示す情報は無視するかそもそも集めないため、信じていることをより強く信じるようになる傾向のことです。
確証バイアスは非常に強力です。
通常の認知バイアスであれば、自分の直感を疑問視し、考えることで何とか誤りを回避できる可能性があります。
しかし、確証バイアスにハマった状態ではむしろよく考えた結果、知らず知らずのうちに自分が信じていることの情報ばかりを集め、さらにそれを強く信じ込んでいきます。
自分の暴走を止める手立ては自分の中になく、他人からの助言はよく考えたすえに無視されます。
それは私たちの脳が、自分の考えと合う情報については「それを信じてもいいだろか」と受け入れる姿勢で考えるのに対し、自分が間違っている可能性を示す情報については「どうしてそれを信じなければならないのか」と否定する姿勢で考えているからです。
このように私たちは、信じていることを疑わざるを得ないあきらかな理由でもないかぎり、自分を支えてくれる情報を直感によって無条件に受け入れてしまいます。
確証バイアスはその存在を知っていても回避は困難です。
自分の考えが正しいのか間違っているのかを考えようとしても(メタ的思考)、そもそも自分が知っていることに限界があるため、正しい答えを導き出せるものでもありません。
そんなとき人は、自分の信じていることをそのまま信じ続けてしまうものです。
そもそも自分が信じていることが間違っている可能性を探すのなんて、ほとんどの人はやりたがりません。
それでもできることがあるとすれば、自分が完全に間違っていたと認めなければならなくなる状況を想定しておいて、あらかじめ準備をしておくことくらいでしょう。
そのうえで自分の考えを信じるリスクを取ります。
自分の考えが絶対に正しいと信じるほど、最後は絶望的に間違う可能性が高くなるので注意が必要です。
自分が信じていることが運よく正しい場合、確証バイアスはそれほど怖くはありません。
確証バイアスが恐ろしいのは、間違っていたり自分のためにならない情報を信じていたりする場合です。
だまされても信じ続ける心
人にだまされているのに本人はまったく気づいていない、薄々だまされていると気が付いているのに決定的な証拠がないからといって相手を信じ続け、まわりからの助言にも耳をかさない、という人を見たことはないでしょうか。
もしくは自分がそうであったことがあるかもしれません。
あるいは今もまさに…。
極端な思想を信じ込み、それに人生をささげてしまうことや、悪徳商法にだまされたり、詐欺にあったりするケースもあります。
心が痛くなる話ですが、これは本人がそう思っているのだから仕方がないとか、だまされるのが悪い、という単純な話でもありません。
このような状態にある人は確証バイアスにおちいっています。
確証バイアスは認知的な錯覚により生じる、非常に強い思い込みです。何しろ人は相手を信じようとすることからはじめるのです。
人をだます者は、知ってか知らでかそのことを利用しています。
いったん相手を信じ込ませることに成功すれば、あとは確証バイアスによって勝手に、そしてより強く自分を信じようとしてくれるのですから、人をだます人間はとくに最初はあらゆる手段を使って自分を信じさせようとするでしょう。
だまされる人が悪いわけではありません。
ただ運が悪かったのです。
人をだます意志のある人間にターゲットにされて、それを回避するのは簡単なことではありません。
最初は自分のことを大切にしてくれていた人が、その後はなんだか自分にとってよくない要求ばかりしてくるのに、なぜかその人のことを信じてあげようとしているときは気をつける必要があります。
かといって、だまされている人にそのことを伝えても普通は受け入れられません。
確証バイアスはそれだけ強力な認知の錯覚です。
視覚的な錯覚を利用しただまし絵を見たことがある人はわかると思いますが、それが錯覚であると教えられただけで、錯覚が解除されるわけではありません。
錯覚が解けるのは、相手がぼろを出し、だまされていた事実が明らかになったとき、もしくは利用しつくされ、お金を搾り取られ、用済みになったときくらいです。
それでも、だまされていたことに気づけた人は幸いです。
自分をだまし搾取してきた相手を信じ続け、感謝までしてしまうケースは珍しくありません。
やっかいなのは、人をだます人間も確証バイアスにおちいっている可能性があることです。
人は利用するもの、としか考えていない根っからの悪人もいるでしょうが、何かのきっかけで自分のために人をだましてもいいと信じてしまった人間は、その後その考えをどんどん強化していくでしょう。
人をだますのは悪いことだ、という世間一般の良識は彼らにとって拒絶する対象でしかありません(悪事が明るみに出て、罪をつぐない考えあらためることはあります)。
人は信じるに値することを信じるのではなく、ただ自分が信じたいことを信じるのが得意なのです。
ノーベル賞受賞者からの助言
直感によって間違ったことでも信じてしまう認知バイアスや、考えたすえに信じたことをどんどん信じ込んでいく確証バイアスに対して、何か打つ手はないのでしょうか。
バイアスに関する研究をおこない、心理学者にしてノーベル経済学賞を受賞したアメリカのプリンストン大学名誉教授であるダニエル・カーネマン博士はその著書「Thinking, Fast and Slow(邦題:ファスト&スロー)」の中で、いくつかの助言を与えてくれています。
一つは「仮説は反証により検証せよ」です。
要は、信じていることが間違っている証拠を自分で探そう、ということです。
たとえば、この人は「絶対に」信用できる、とだれかを信じているときに、あえて信用できない証拠を探します。
人を疑ってばかりいても自分や周囲の人を不幸にするだけですが、「絶対に」と信じ切っているときには疑うことも有効です。
だれかを絶対的に信用し、疑う証拠をあげることさえできないと思っているときは、たいてい確証バイアスにとらわれています。
世の中に「かなり」信用できる人や「そこそこ」信用できる人はいても、「絶対に」信用できる人間などいません。この認識の違いは重要です。
ある人との関係が実は自分にとってあまりよくない関係だと気づいたとき、またはその人にだまされていた気づいたときに、「絶対に」信用できると信じていると、それでもなんとか信用し続けようとしますが、「かなり」あるいは「そこそこ」信用できるくらいに思っていれば、その人との関係を考え直すことができます。
疑う証拠がたくさん出てきて、信じる証拠を上回るのであれば、その人とは距離をおくのがよいでしょう。
この「仮説は反証によって検証せよ」は、「絶対に」と考えるさまざまなことに応用できます。
「絶対に」こうだと考えている自分の信念、「絶対に」うまくいくと信じている企画、「絶対に」スゴいと思っている自分へのうぬぼれ、などなど「絶対に」と思うことはよくあるでしょう。
しかし、カーネマン博士は次のように書いています。
「一言で言えば、(バイアスを克服するには)よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。経験から言うと、直感にものを教えても無駄である。~中略~。私が進歩したのは、いかにも誤りがおこりそうな状況を認識する能力だけである。」
カーネマン博士は努力によってバイアスを克服できる可能性を示してくれてはいますが、自身の直感的思考はささやかな改善(その大半は年齢によるもの)しかなかったと認めています。
バイアスを克服するのがどれだけ難しいかがわかりますが、それでも状況を認識する能力を伸ばすことは何とかできるようです。
注目すべきは、「いかにも誤りが起こりそうな状況」を認識する、ということです。
何かを無批判に受け入れる、信じていることを信じようとする、そのような状況自体は常にあります。
すべての状況を正確に認識しようとすれば頭がパンクしてしまいますが、実はそれを回避するための直感です。
直感の悪い面ばかり見てきましたが、直感は人間にとって大切な脳の機能なのです。
問題なのは、大事な場面でも直観にまかせっぱなしにすることです。
なので、ここで間違うのはマズい、という状況をしっかり認識し、そのときは頭をフル回転させて考えましょう。
絶対大丈夫、間違いない、と思っているときは要注意です。
そんなときの自分は信じたいことを信じているだけでまったく当てにならないので、信頼できる人間に助言を求めましょう。
バイアスに関する研究をし、ノーベル賞まで受賞したカーネマン博士ですらバイアスを克服することはできなかったのですから、バイアスはそもそも克服を目指すようなものではないのかもしれません。
それでも、カーネマン博士は本の最後に、言葉を知ることの重要性を説いています。
確証バイアスは認知バイアスの一つにすぎませんが、この言葉を知ることで、自分のためにならないことを信じ続けてしまうリスクや、何も知らずに間違った判断をしてしまうリスクを少しは軽減できるはずです。
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何かを信じることは大切です。
しかし確証バイアスに気をつけて世の中を見直してみると、意外と多くのことを錯覚して信じているなと思うかもしれません。
もしもそう思うのであれば、自分が信じること以外にも目を向けられるようになります。
そして、世の中をより広く認識できるようになるでしょう。
そうなればきっと、世の中をもっとおもしろい視点で見ることができるようになるはずです。
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか?
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか?
行動意思決定論―バイアスの罠