【ヒュームの法則】とは?「~である」から「~するべき」とは言えない、別名「ヒュームのギロチン」の恐ろしいロジック

ギロチン viewpoint-視点

ヒュームの法則とは

ヒュームの法則とは、「~である」という事実から「~するべき」という結論を導きだせない、とする法則です(イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームの価値判断に関する考え方)。

例えば、「学歴社会である」「資本主義経済である」「民主主義国家である」という事実から、何か「~するべき」ことを結論できるでしょうか。

よくある答えは、「勉強して有名大学に入学するべき」「資本を活かして自由に競争し、お金をたくさん稼ぐべき」「政治に参加するべき(選挙に行く、もしくは立候補する)」という、まさに「べき論」でしょう。

たしかにそうするべき・・理由はたくさんあります。

「勉強して有名大学に入学すれば職業選択の自由度が増す」、「たくさんお金を稼げば好きなものを買え、好きなことをできるようになり生活満足度が増す」、「政治に参加することで民主主義を支えることができる」、などなど。

しかし、これはあくまで答えの一つに過ぎず、だからそうしなければならない、という絶対的な結論にはなっていません

有名大学を卒業していなくても、お金をたくさん稼がなくても、政治に参加していなくても、立派で幸せな人生を送っている人はたくさんいます。

するべきことは

それでも、「そうしたいなら、そうするべき」かもしれません。

この「~するべき」は「~である」という具体的な事実から導き出たわけではないため、ヒュームの法則をやぶっていません。

そこにあるのは、その人の思いや願いです。

人に優しくしたいのなら人に優しくするべきでしょうし、世界の発展に貢献したいのならそのための努力をするべきでしょう。

また、学歴社会と資本主義のシステムを活用して、社会的な成功や金銭的な成功をつかみたいならその努力をするべきかもしれませんし、民主主義を大切にしたいなら政治に参加するべきときもあります。

するべきことをするのは簡単ではない

しかし、自分の意志による「~するべき」ことを実行するのは簡単ではありません

これは個人的な思いや願いからの結論ですので、他人に「~するべき」と強制されるものではありませんし、自分の意志だからといって絶対に従わなければならないわけでもありません。

「~するべき」ことをしなくても、ただ自分の思いや願いが実現しないだけです。

そして、あきらめることは意外なほど簡単です。

それに、自分の思いや願いは状況や成長段階によって変化します。

人に優しくしたのに裏切られた、または人に優しくしなかったことを後悔した、勉強して有名大学に行き優良企業に入ったけど幸せじゃない、または勉強なんてくだらないと思っていたけどちゃんと勉強しておけばよかった。

そのときどきで何を思うか、それに対して「~するべき」という答えは変わってきます。

人に裏切られても優しさをもち続けるべきなのか、優しさは使い分けるべきなのか、幸せを感じていなくても現状を維持するべきなのか、状況を打破するべく行動するべきなのか、どうするべきかの結論は人それぞれ違うでしょう。

簡単に答えを出せることではありません。

結局は、「~するべき」と頭でっかちにならず、事実に対して何を思い、何を願うのか、なぜ自分はそのように考えるのか、と自分に問いかけ、自分なりの答えを出すことが大切です。

その先に、事実にもとづく「するべきこと」ではなく、自分の思いから導き出される、人生の目標となる「するべきこと」が見つかるはずです。

「べき論」を一刀両断するヒュームのギロチン

私たちは、ある事実をもとに「~するべき」と考え、極端な考え方をしたり、人に意見を押し付けたりすることがあります。

しかし、ほとんどの事実に基づく「~するべき」ことは、ヒュームの法則によってあっさりと否定されます。

ヒュームの法則は「こう」だから「こう」というシンプルな考えを、「根拠なし」として問答無用で切り離すため、別名「ヒュームのギロチン」という恐ろしい名前でもよばれています。

それだけインパクトのある考え方ではありますが、何かの事実から簡単に導き出される「~するべき」という結論に疑問を持つことは非常に重要です。

こりかたまった考えから解放されて、自由な発想で自分のやりたいことを見つけることは、人生をより充実したものにする一つの方法かもしれません。

参考:人生論
生物多様性「私」から考える進化・遺伝・生態系
残酷すぎる成功法則

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