経験から学べ、ないこともある
「経験から学べ」とはよく言われることです。
確かに、私たちは経験を積むことで学び、多くの技術を向上させ、生きる術を獲得していきます。
しかし、経験からの学びでは向上しないと考えられているものがあります。
それは私たちの意思決定の力、すなわち判断力です。
なぜなら、何かを学習するのに必要な「正確かつ迅速なフィードバック(行動に対する評価や改善点を伝えること)」が、判断の結果に対しては適応しづらいからです。
それにはいくつかの理由があります。
- 判断したことの結果がでるまでに時間ががかる
- 判断の結果が良かったにしろ悪かったにしろ、その原因を一つの特定の行動で説明するのが難しい
- もし違う判断をしていたらどうなっていたか、通常はその比較ができない
- 判断をくだす環境はいつも同じではなく、正確なフィードバックをすること自体が困難
加えて、判断が重要なものであればあるほど、その判断自体がユニークなものであるため、そもそも経験から学ぶ機会がほとんどありません。
つまり、経験によって判断力を向上させるのは並大抵のことではない、ということです。
それでも、判断のトライアル&エラーを繰り返し、いくつもの失敗の経験を糧に、いくつかの成功経験を積めば判断力は向上する、と思いたいところですが、現実はそんなに甘くはありません。
失敗と成功、経験からの危険な学び
何事も経験してみないとわからない、失敗したらそれを成功につなげる努力をすればいい、というのは確かにそのとおりです。
しかし、これには大きな落とし穴があります。
それは、一つの失敗が取り返しのつかない結果を招くこともある、ということです。
たとえば、大きな借金をして事業を始めたのはいいが、判断の見通しが甘く大失敗に終わってしまった、という場合、そこからの立て直しはまさに命がけのものになります。
その失敗から学ぶことは多くあったとしても、失うものが多すぎては再チャレンジすることさえできません。
そして、最も危険なのは意外にも、成功経験からの学びです。
成功したのはただ運がよかっただけなのかもしれません。
その可能性を考慮せず、成功経験から無邪気に学べば、自分を実力以上の人間と勘違いし、はたから見れば無謀でしかない「賭け事」に自信満々に挑み、当然のごとく身を亡ぼす、などという結果を招くことになりかねません。
経験からの学びは、私たちが思っているよりも高くつくのです。
経験を無視する直感
経験からの学びは難しく危険なものですが、さらにそれを邪魔する厄介ものが存在しています。
それは私たちの直感です。
私たちの脳は何かを判断するとき、経験からの学びよりも自分の直感を信じるようにできています。
そして、私たちの直感は悲しいことに、たいていの場合において間違った答えを導き出します。
なぜなら、直感の役割はその場に合っていそうな答えを素早く出すことであり、よく考えて正しい答えを出すことではないからです。
それなのに、世の中には「直感を信じろ!」というメッセージが非常に肯定的な意味で広まっています。
直感を信じることは、まさに直感的に正しいと感じてしまいますが、よく考えてみるとそこには何の根拠もないはずです。
しかし、直感を信じてしまう私たちは、高価な対価を支払って得た経験からの学びを簡単に無視してしまうのです。
(もちろん例外はあります。それは各分野のトップレベルにいるような、真の熟練者の直感です。彼らは長い年月をかけて磨き上げ貯えてきた技術と専門知識によって、瞬時に正解にたどり着くことが可能です。しかし例外はあくまで例外です。)
じつは、経験を積んでも技術は向上しない
高くつく上に無視までされてしまう経験からの学びですが、そもそも経験を積むだけで技術が向上することはありません。
そのことは、ワインソムリエや証券アナリスト、医師や看護師、戦闘機パイロットなど幅広い職業を対象にしたいくつもの研究から確認されています。
さらに驚くことに、多くの分野のエキスパートと呼ばれる人たちは、そうでない人たち、時には素人と比べてさえ、安定的に優れた成果を出すとは限らないといいます。
言われてみれば当たり前の話ですが、同じことをまったく同じやり方で長年続けただけで、技術が向上することはありません。
なぜなら、技術を本当に向上させるのは「正しい」方法でおこなう練習や訓練や「正確」なフィードバックであり、経験そのものではないからです。
それなのに、私たちは向上の意思なく漫然と仕事に従事するだけで、自分は経験に裏打ちされた技術をもつプロだ、と思い込んでしまいがちです。
経験からの学びは確かに大切です。
しかし、経験「だけ」からすべてを学べると過信していると、学んでいるつもりがじつはほとんど何も学んでいない、という恐ろしい事態になりかねません。
かの有名なベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父の一人・米100ドル札に描かれる人物)は、
「経験は高くつく教師である。ところが愚か者はそれからしか学ぼうとしない。」
と伝えたといいます。
愚か者といわれるとキツイですが、主体的な努力をせず、経験だけから受動的に何かを学べると考えるのは確かに都合がよすぎるのかもしれません。
何かを学びたいのなら、経験に加え、練習や訓練などの努力をしたほうが賢明なようです。