1万時間の法則とは
1万時間の法則とは、何かの分野で超一流と呼ばれるようになるには、1万時間ほどの計画的な練習や訓練が必要になる、ということをあらわした言葉です。
この言葉は、何か目指すものがある人たちに「努力するとは時間をかけることだ、1万時間も努力すればゴールにたどり着く」という非常にシンプルで心強いメッセージを送ってくれています。
1万時間達成にかかる日数
1万時間は1日に何時間かければ達成できるのか、以下のとおりです。
- 1日1時間-27.4年 ・1日2時間-13.7年
- 1日3時間-9.1年 ・1日4時間-6.8年
- 1日5時間-5.5年 ・1日6時間-4.6年
これは1年365日毎日休まず続けた場合の年数ですので、1日5時間で5.5年は無理があるかもしれませんが、1日平均3時間で約10年というのは現実的ではないでしょうか。
10年というのは、さまざまな分野で一人前と認められる時間としてよく出てくる数字でもありますので、感覚的にも納得できる数字だと思います。
しかし、1万時間トレーニングをしたからといって、何かの分野で必ず超一流になれるわけではありません。
1万時間の法則の欠陥
さっそくですが、1万時間の法則には大きな欠陥があります。
じつは法則でも何でもないのです…。
ある分野でだれからも認められる超一流になるには、1万時間の倍の2万時間かそれ以上かかるかもしれませんし、半分の5千時間かもっと短い時間ですむかもしれません。
もしくは、いくら頑張っても超一流にはなれないかもしれません。
研究によってわかっているのは、ある分野で超一流とよばれるような人たちは、例外なく膨大な時間をかけて練習をしている、それもただ時間をかける練習ではなく、目的をもった計画的な練習をしている、ということだけです。
つまり、超一流の人たちが膨大な時間を練習に費やしてきたからといって、膨大な時間をかけて練習をすれば誰でも超一流になれる訳ではない、ということです。
それなのに1万時間の法則は、1万時間努力すればだれでも超一流になれる、もしくは必ず結果を出すことができる、という間違った印象を人々にあたえてしまいます。
なぜこのようなことになってしまったのか、それは1万時間の法則のもとになる研究をした人と、1万時間の法則という「言葉」をつくった人がまったくの別人だということに原因があります。
1万時間の法則の元になった研究
1万時間の法則の元となる研究をしたのは、アメリカのフロリダ州立大学心理学部教授であるアンダース・エリクソン氏です。
エリクソン教授は30年以上にわたり、なぜどんな分野にも超一流とよばれる人が存在するのか、ということを科学的に研究してきました。
その研究結果は、著書「PEAK(邦題:超一流になるのは才能か努力か?)」で詳しく解説されていますが、簡単にまとめると以下のようになります。
- 超一流と一流を分けるのは平均してみると練習時間の差
- 長期間にわたる厳しい「計画的な練習」をせずに並外れた能力を獲得することはない
- 「生まれながらにして天才」という存在は確認できていない
(スポーツなどにおける身長や体格は例外、だがそれをどう活かすかは練習しだい)
つまり、超一流になるにはどのように努力するかが重要だ、ということです。
ただがむしゃらに努力するだけでは最高レベルに到達しません。
1万時間の法則の名付け親
対して、1万時間の法則という「言葉」をつくったのは、アメリカのジャーナリストでありベストセラー作家でもあるマルコム・グラッドウェル氏です。
グラッドウェル氏はその著書「Outliers(邦題:天才!成功する人々の法則)」の中で、エリクソン教授の研究結果などを参考に、世界で通用する人たちに共通するマジックナンバーとして1万時間をあげ、これを法則としました。
ここで問題が生じます。
時間をかけることは確かに重要ですが、1万時間という数字に何か特別な意味があるわけではなく、また「1万時間の法則」という言葉には、努力の中身に対する視点が抜け落ちているのです。
それでも、1万時間の法則は言葉としてあまりにも覚えやすく、内容を連想しやすいものであったため、またたく間に世間の注目を集めました。
これはグラッドウェル氏が科学者ではないからこそできてしまった芸当でしょう。
作家としては大成功です。
ただこれにより問題がさらに複雑になります。
何よりややこしいのは、グラッドウェル氏でさえ、1万時間努力すればだれでも成功する、とは書いていないことです。
むしろグラッドウェル氏が注目したのは、ある分野の成功者がその分野に多くの時間をかけることができた環境や時代や文化、それに何年の何月にどこで生まれたのかまで含む「運」の要素でした。
1万時間も練習するにはその環境が整っていることが必要で、自分の力だけではどうにもなりません。
グラッドウェル氏は、エリクソン教授とは違う視点で才能に対する疑問を投げかけています。
しかし、1万時間の法則という言葉はあまりにも魅力的で、時間さえかければだれでも結果を出せる、という誤った印象を人々にあたえてしまったのです。
「法則」と表現されているのですから無理もありません。
研究者であるエリクソン教授は、グラッドウェル氏が言う1万時間の法則は間違っている、とはっきり指摘しています。
時間をかけることの大切さ
1万時間の法則は間違っていると指摘したエリクソン教授ですが、ある面についてはこの言葉を評価しています。
それは、一つの分野で世界トップクラスになるにはとてつもなく膨大な時間の練習が必要である、ということを人々の記憶に残る形で表現していることです。
日本にもウナギを焼く極意として「串打ち三年、裂き八年、焼き一生」のように、職人になるには非常に長い下積みが必要であることが伝統的に伝わっています。
昨今の風潮ではこういう長い期間の下積みは軽視されがちですが、時間をかけることが技術の習得には絶対に必要だという本質を突いた言葉だと思います。
それと同じで、1万時間の法則は言葉どおりの意味でとらえるのではなく、それだけ長い時間をかけることの重要性を示したものだと理解するのがよいでしょう。
時間よりも練習の内容が重要
時間をかけることの大切さを明らかにしたエリクソン教授は同時に、ただ努力し続けることの危険性も指摘しています。
単に何かを繰り返すだけで技能が向上するわけではないというのです。
上達を望むのなら、つねに改善を意識した「目的のある練習」を実行する必要があります。
そして、ある分野で世界トップクラスを目指すなら、「心的イメージ」を形成しながら「限界的練習」に取り組む必要があります。
目的のある練習・心的イメージ・限界的練習
「目的のある練習」・「心的イメージ」・「限界的練習」という3つの概念は、エリクソン教授の著書「PEAK(邦題:超一流になるのは才能か努力か?)」で多くのページを割いて説明されており、簡単にまとめられるものではないですが、あえてまとめると以下のようになります。
- 目的のある練習:単に何かを繰り返すのではなく、細分化された評価可能な目標を設定し、何ができていて何ができていないのかを正確に特定するためのフィードバックをおこない、改善し、自分ができることの少し上の目標につねに集中して取り組む。
- 心的イメージ:長期間の練習によって脳の神経回路が少しずつに変化し、専門分野の事柄に関するずば抜けた記憶や複雑なパターン認識が可能になった結果獲得する、情報を瞬時に処理する能力。「こういう場合にはこうする」という答えが頭の中にいくつもある。自分のミスに自分で気づくことを可能にする。
- 限界的練習:目的のある練習に、技能向上に役立つ練習活動を指示できる教師が加わる。おもに上達のための正しい方法が確立されている伝統ある分野での練習方法。また、心的イメージにより自分で自分を監視し、一人でひたすら練習する。世界のトップを目指すための方法。
「目的のある練習」と「心的イメージ」の形成は多くの分野で役に立ちますが、「限界的練習」を実行できるのは、たとえばクラシック音楽やバレエ、数学など伝統的な分野に限られています。
プロを目指す
世界レベルの超一流を目指すのは簡単ではありませんが、その方法を参考にすれば、自分が目指す分野で自らお金を稼ぐ「プロ」になることは可能ではないでしょうか。
「限界的練習」は世界のトップを目指す方法であり、これを実行するにはある程度裕福な家庭に生まれ、幼いころに打ち込むべき目標に出会い、さらに親が十分に支援をしてくれる、というかなり稀な環境がすべて整う必要があります。
通常ここまでの環境が整うことはまずありません。
しかし、だれにとっても、何歳になっても、何か目標を見つけた時点で向上を目指して本気で取り組みはじめることは可能です。
もちろんただがむしゃらに頑張ってもプロにはなれません。
「目的のある練習」をする必要があります。
世界レベルを目指す「限界的練習」のためにお金をかけて教師やコーチの指導を受けることはできなくても、向上を目指して本気で何かに取り組めば、
本を何冊も読んだり、その道のプロの話を何度も聞いたり、チャンスがあれば直接教わったりして、やり方は徐々に改善されるはずです。
幸い今の時代はインターネットの発達により、情報だけはいくらでもあふれています(ただし役に立たない情報、人の足を引っ張る情報もあふれています)。
そして自分ができることの少し上の目標につねに集中して取り組みます。
10年後を目指して
ここで練習に時間をかける目安として、1万時間の法則に再度登場してもらいましょう。
1万時間を達成するには、以下の期間が必要でした。
- 1日1時間-27.4年 ・1日2時間-13.7年
- 1日3時間-9.1年 ・1日4時間-6.8年
- 1日5時間-5.5年 ・1日6時間-4.6年
どうでしょうか。
あくまで目安ですが、1日5~6時間努力すれば約5年でプロになれる可能性があります。
ただしこれは1日も休まず毎日続けた場合であり、かなり厳しいスケジュールです。
それでも学校や会社帰りのテレビやゲームやスマホ、余計な人付き合いを削って全力で取り組めばやってやれないことはありません。
1日5時間は難しいとしても、1日3時間なら可能ではないでしょうか。
10年も経てば目指す道のプロになれるかもしれません。
逆の発想をすれば、10年前に何かに本気で取り組みはじめていたら、今現在プロとして食べていけるだけの状態になっている可能性がある、ということです。
こう考えると、10年後にむかえる今日のために、今から何かをはじめる価値は十分にあります。
もちろん、プロのスポーツ選手や、競争が激しい分野のプロになるのには幼少期から準備をはじめる必要があります。
20歳を過ぎてからでは10年後にプロレベルになったとしてもスポーツの世界では体力的に厳しいですし、どんな分野にもその頃には2万時間や3万時間を費やしたトップレベルのプロがいます。
それでも、多くの分野で一人前のプロとしては認められるレベルには到達可能なはずです。
実際には8千時間や分野によっては5千時間でプロになれることもあるでしょう(1万時間が必要なのは、同じ道を目指す人たちが標準的に1万時間もの努力をしている場合です)。
それから先は時間をかければかけるだけ成長していきます。
プロになった後、その世界での成功や失敗は時間だけに左右されるほど単純なものではありませんが、それでも土台として、今までに取り組んだ時間そのものに価値があります。
時間をかけるのは簡単ではない
しかし、時間をかけることは口でいうほど簡単ではありません。
まわりには私たちの気を散らせ、誘惑してくる魅力的なモノであふれています。
何とか取り組みはじめたとしても、すぐに3日坊主という魔の境界線が立ちはだかります。
1万時間に10年かけて取り組もうとしているのに、たった3日で大きなピンチを迎えるのですから先が思いやられます。
ですがそこを乗り越えて、1週間、2週間、1ヶ月と続けていくうちに、行動が習慣化されていきます。
1ヶ月、半年と続ければもはや何もしないと落ち着かない状態になってきます。
さらに1年、2年と続けるうちにできることがどんどん増えて、目に見える成果もでてきます。
その結果、続けること自体に楽しみを感じるようになってくるはずです。
最終的に新たな知識とスキルを貪欲に求めるようになれば、あとは際限なく上達していくのみです。
その間、度重なる失敗や挫折、伸び悩みの時期を経験し、嫌になってやめたくなることは何度もあると思いますが、それを乗り越えるからこそプロになれます。
プロとは知識やスキルを持つのと同時に、失敗したときの対処法を身につけている人たちでもあるのです。
失敗を経験せずにプロになることはありえません。
積極的にチャレンジし、失敗し、その対処法を身につけるほどプロとしてのレベルは上がるでしょう。
また、時間をかけることは職業としてプロを目指す以外の道にも適用できます。
志望校に合格する、勤め人として専門分野のエキスパートになる、語学をマスターする、
何であれ時間をかければかけるだけ、達成に近づきます。
たとえば10年後に英語をペラペラと話せたらと思うと、今から英会話の練習をはじめる価値は十分です。
注意すべきこと
時間をかけて何かに取り組むのは自分に対する投資です。
失敗さえも経験という価値に変換されるのですから、自分に投資する以上にリターン率の高いものはないでしょう。
ただその分、周囲との関係を犠牲にする必要があります。
自分の時間をつくるために人付き合いは減らさなければなりませんし、家庭をもっているかたは家族との関係が変わってしまう覚悟をしなければなりません。
家族のために1万時間を費やすと説明しても、なかなか受け入れてはもらえないものです。
ここにはトレードオフの関係がつきまといます。
つまり、何かを選ぶと必ず他の何かを選べなくなるのです。
世界中のいわゆる成功者とよばれる人たちは、とても長い時間働いていて、その分友人や家族との関係を犠牲にしており、多くはそれを後悔しているそうです。
彼らはその成功とは裏腹に、大きなストレスを抱えていてあまり幸せを感じていないのかもしれません。
幸せとは、自分が大切に思う人と共に過ごす時間でもあるのです。
ですので1万時間の法則を参考に何かを目指すかどうかは慎重に判断しなければなりません。
幸せな人生を目指したつもりが、逆に不幸になる可能性もあります。
自分が本当に望むものは何か、真剣に考えることが重要です。
そして最大の注意点は先にも触れたとおり、超一流や成功者、そしてプロとよばれる人はみな長い時間をかけて努力していますが、その逆が成立するかはわからないということです。
時間をかけて正しく努力しさえすれば成功するという法則はありません。
何かを目指すには最低限、夢破れるリスクを取る必要があります。
しかし、そのリスクを受け入れた先にしか目標達成というゴールはないのです。
1万時間は途方もなく長い道のりに感じられますが、何か目指すものがあり、ゴールを望むのならば、そこにむかって歩きはじめるだけです。